ディック・ブルーナ氏引退 楽しく学ぶ音の森アカデミーのぶこせんせのコラム

2014-08-27

急に涼しくなった千葉市緑区あすみが丘

先日までの30℃以上の猛暑日が不思議に感じます

夕方からしきりに鈴虫が鳴きはじめ秋が近づいているのですね。

本日のレッスンでは、年少のアーちゃんが〝ロングロングアゴー〟の弾き歌いをしました。

歌詞が英語のため難しいかなぁ~、と思っていましたが。

『アーちゃんは歌えるよ!』と。

弾き歌いを見事に英語の歌詞で歌って弾いてくれました

アーちゃんはピアノ教室に入る前に、幼児英語教室に通っていて〝ロングロングアゴー〟を耳で覚えて歌っていたそうです。

幼児期の記憶力って 素晴らしいです❗️❗️

のぶこせんせは感動しました

みなさんはミッフィーをご存知ですか?

きっと幼児期に絵本を読んだり見たことがあると思います。

ミッフィーの作者 ディック・ブルーナさんが引退されてこれからはミッフィーの新しいお話は制作されないそうです。

とても残念。

のぶこせんせの教室ではピアノの教材でもミッフィーにはお世話になりました。

とっても素敵なお話しに感謝したいと思います

うちの子供はいつもミッフィーのぬいぐるみを抱っこして休んでいました。

ディック・ブルーナさんのコラム

先日87歳の誕生日を迎えたオランダのデザイナー、ディック・ブルーナ氏が、高齢のため現役を退くことが発表された。

これにともない、現在まで出されている『うさこちゃん』『ミッフィー』の各絵本は、今オランダで刊行されているものがすべて、ということになりそうだ。

『ちいさなうさこちゃん』が日本語に翻訳されてから50年を迎える今年、記念すべき年に少し悲しいニュースではあったものの、「勇退」ということでその決断を称えたい。

そこで今回は、ディック・ブルーナ氏に感謝を込めて、ミッフィー好き読者の一人として、『うさこちゃん』『ミッフィー』の謎、そして子どもの年齢別おすすめ絵本を紹介したい。

■名前が違うのは、なぜ?

日本では『うさこちゃん』『ミッフィー』として知られるこの白いうさぎの女の子。
オランダでは「ナインチェ・プラウス(nijntje pluis)」と呼ばれ、その意味は、ナインチェ=うさちゃん、プラウス=ふわふわ。つまり、「ふわふわのうさちゃん」という、なんともモフモフしたい衝動に駆られる名前だったことがわかる。

ちなみに、「ナインチェ」を一番最初に他国語に翻訳したのは日本の福音館書店と言われている。「ミッフィー」という名前は、同じころイギリスで翻訳されたときにつけられたものだそうだ。

その後、数々の国で翻訳版が出版されているが、その名称に関してブルーナ氏の著作権管理会社であるメルシス社は、ベネルクス三国では「nijntje」、日本を含むそのほかの国では「miffy」と統一することにした。

しかし日本では、福音館書店から発売されている絵本では、メルシス社設立以前よりすでに「うさこちゃん」の名前が採用されていたため、これはそのままとして、講談社から出ている独自編集本、そのほかグッズに関しては「ミッフィー」の名前がつけられている。

これは、80年代以降に絵本の翻訳権が一時期講談社に移ったため。
以前は「ミッフィー」の名前で講談社から翻訳絵本が発売されていたが、オリジナルの翻訳絵本は、現在福音館書店のみの取り扱いとなっている。

■ブルーナさんはどんな人?

1927年、オランダ・ユトレヒト生まれ。
ディック・ブルーナ氏は曽祖父が起業した出版社「A・W・ブルーナ&ズーン(以下、ブルーナ社)」を代々経営する両親のもとに生まれた。職業はグラフィックデザイナー、絵本作家としても知られる。

中学時代にはレンブラントやゴッホに影響を受け、油彩を描くようになる。
画家を目指したかったブルーナ氏は、会社を継がせたかった父親と衝突するも、最終的には「後継者として勉強するならば」との条件付きで高校を中退した。

その後、学校を辞めたブルーナ氏は、オランダ国内の書店や英・仏の出版社で修行をする。しかし、パリではマティスなどの現代芸術家に大きな影響を受け、20歳でオランダに帰国すると、父親に「アーティストになりたい」と直訴。父もこれを受け入れて、以降はブルーナ社の専属デザイナーとして勤務。グラフィックデザイナーとしてさまざまな本の装丁を手がけることとなる。

結婚後の1953年、自身初の絵本となる『りんごちゃん』を発表。そして1955年、ついに『ナインチェ』が誕生する。

第一子が生まれた翌年。休暇中の海辺で子どものころに飼っていたウサギのことを思い出してスケッチブックにウサギを描いた――。

これがのちの『うさこちゃんとうみ』と言われており、それからほどなくして誕生したのが“うさこちゃん誕生の物語”、『ちいさなうさこちゃん』であった。

最初の『ナインチェ』は、今とはまったく姿の違うものであり、今の形に至るのはそれから8年後の1963年のこと。

1971年には作品の著作権管理会社「メルシス社」を設立、1975年にブルーナ社を退社し、創作活動に専念することとなる。独立後は公共広告のデザインなども数多く手がけ、日本国内においては「ふみの日」の切手のデザインが有名である。

■ブルーナカラーって何?

フランスの画家、アンリ・マティスに大きな影響を受けていると語るブルーナ氏。
その技法を発展させ、新たなスタイルを確立しようとしたそうで、黒いアウトライン、それに切り絵画法を発展させ、ピエト・モンドリアンら新造形主義の芸術家の集まり、デ・ステイル派のように、「赤」「黄」「青」という基本三原色に「緑」を付け加えた4色を使うようになった。さらに後年、くまや犬に使う「茶色」、ぞうに使う「灰色」を足した6色が「ブルーナカラー」(※1)と呼ばれることになる。

ちなみにブルーナ氏曰く「一番好きな色は、今も昔も青です」とのことだ。

福音館書店版の装丁を現在担当しているブックデザイナー・祖父江慎さんによると、「ブルーナインキ」というのを特別に作っているとのこと。(※2)

海外でもこのインキ調合が難しく、装丁を担当するにあたり、当時流通していたものは色相や濃度が刷りによってばらけていたため、限りなくオランダの原書に色を近づけようと、新しく刷る際に色を統一すべく調整したそうで、厳選した限りなく真っ白な本文用紙と表紙の用紙での刷り上がりを見ては細かく色調整した、とコメントがあった。

なるほど!

ミッフィーのオレンジはオランダの色だったのですね!

ミッフィーはみんなの心を和やかにしてくれます

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