講師紹介

大西暢子

九州は宮崎の、のんびりした環境ですくすく育つも四人兄弟の三番目。いつも兄と姉に従いつつも常に野心を忘れずにいた。
兄と姉の通うカワイ音楽教室には母におんぶ紐で背負われて行き、母の背からとても興味深く見ていた記憶がある。

クラシック音楽との出会い

五歳の頃、父が唯一持っていたベートーヴェンの交響曲『田園』を初めて聴いた時の感動は今で も記憶に残る思い出
ここから音楽と繋がっていくのです

七歳で祖父母からヤマハのアップライトピアノを頂き個人のピアノ教室へレッスンに通う。

先生は国立音大出身で早い時期からソルフェージュに力を入れたレッスンで、お陰でソルフェージュ が得意な生徒になれました! ピアノもぐんぐん伸びていき、いろいろな場で伴奏を引き受けていました。

姉は運動神経が秀でておりハンドボール部で活躍。家にはほとんど居らずじまい。 兄は何事も長続きのしない風来坊、親泣かせで両親はいつも兄のことで頭を悩ませていた。 私が高校生の頃、兄の大事件は起こった。私は学校に行けないくらい苦しくて本気で死にたいと 思った。家の中は明るいはずがない。だけど父や母の心がほぐれる様に冗談を言ったりする子供 だった。私の心は不安でいっぱい。誰にも言えない悩みを抱えていた。 悩みを打ち消す様にピアノに向かいひたすら弾き続けた。

私が進路で悩んでいた時、手を差し伸べてくれた人が高校の音楽の先生と先生のお友達で国立音 大のピアノ科を卒業されて2~3年目のまだまだとても若い先生が私の救い主
私に声楽の先生とソルフェージュの先生の所に通えるように手筈を整えてくれた。 ここから大学受験に向けて真っしぐら。 運良く努力が報われる。人間って独りでは生きられない!

学びは、人は生かされているということ

大学で深ーく音楽を学ぶも縁あって、総合商社三井物産へ就職 8年間花のOL。OL時代学んだスキルは、会話術。必ずユーモアを含んだトークは相手の心を開放します。ウィットに富んだ会話を心がけています。

バブル期を経験

人生の転機

結婚時期を考えて29歳を迎える直前に寿退社 高給取り事務職をスパッと辞める

結婚と同時に千葉県千葉市に引越す

縁もゆかりも皆無

九州だの四国だの温和な人々に囲まれて暮らしていたことを思い知る

都会と地方の生活時間帯の違いのカルチャーショックや他人の冷たさや薄情な感情を知ることに。

寂しかった時間にピアノを弾き歌を歌っていたことでピアノを教えたり合唱を指導することへと繋 がってたくさんの音楽を愛する人と知り合えた。これこそ音楽の力!!!

8年間に及ぶ母子生活
結婚後四年目に長女、更に二年後に長男を授かる。 長男出産直ぐに夫の中国/大連赴任が決まる、母子生活がスタート

娘は健常ながら息子は嘔吐症と喘息を発病。年に数回はこども病院に入院 頼れる所はほとんど無くマジ辛い時期

人間、辛い時こそ笑って暮らしたいと思い3歳と5歳の子供を連れてハワイへ逃避行の旅へ。 一ヶ月のコンドミニアム暮らし
思い切って日本を脱出してホントに良かった!

いじめとの闘い
病弱で小学校を休みがちな息子は即、やんちゃ組のターゲットに。
息苦しさもあってゆっくり動く息子を突き飛ばしたり足を掛けてわざと転ぶようにしむけたり。
究極の言葉の嫌がらせは「おまえ、そのうち死ぬんだろう」
喘息で死ぬこともあることをどこからか聞きかじったのだろう。
息子は体調の良い時も小学校に行きたがらない日もあった。担任の先生はあっけらかんと「いつ頃からこれますか~」
教室で起こっている事は知っているだろうに改善しようとする考えは無いようで。
私は決心をして息子と学校に向かった。
授業中ではあったが取り敢えず担任に大切な話を3人の生徒とさせて頂きたいと申し出た。
「お母さん、授業中ですので」とその場を取り繕う様な行動をされたけど。今なんです!!
私は3人に「人が死ぬってどういうことかわかる?」問いかけた。
そんな言葉を簡単に言ってはいけないと伝えた。今の日本では、自分の子は自分が守るしかないのである。

様々なことと向き合いながらピアノライフ24年目を迎えています



 

 

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